尊厳の敗北

「人間の尊厳」と「パチンコ」を天秤に掛けたときのことについて。



前回は当ブログ開設以来初めての建設的な(?)内容だったが、今回は文字通り“汚い”話。


2014年の夏は、自宅から3.4km離れたホールへ自転車で通うのが習慣だった。ある日、ホールの駐輪場で自転車の盗難にあい、その次の日は徒歩で向かうことになった。

徒歩で向かう途中、急激な腹痛に襲われた。コンビニなどに寄ることもできた。しかし、その数分の間に、お気に入りのパチンコ台が誰かに押さえられてしまうのではということが頭を過った。



当時の私が没入していた機種はそのホールには1台しか設置されていなかった。さりとて開店と同時に確保しなければ打てないような人気機種ではなかった。むしろ空いている時間の方が長いマイナー機種だった。

しかし、私はどうしてもその台を朝一の状態から回したかった。そして毎度、金の続く限り打ち続けるのであった。

この奇妙な行為に何の意味があるのかと訊かれても、私も答えを持たない。ギャンブルとすら言えないようなこの一連の習慣、それが唯一の行動指針だった。まさに“プロセス依存”だ。



そして、腹痛の朝。

トイレに立ち寄ることよりも先を急ぐことを選択した。その結果、漏らした。とりあえず団地の塀と植木の間で急場を凌ぎ(凌げていない)、再びホールへと歩き出した。拭く物を持っておらず、下着とジーンズに汚物を付けたままだ。

ホールに到着するとまずは目当ての台を確保。その後でトイレに入り、尻を拭いて下着を捨てた。そして汚物が染みついたジーンズをはいたまま、1台のパチンコを閉店時間まで打ち切った。


台から得られる快感の前では、お札はもちろん、時間も信用も、尊厳も紙屑同然に捨て去った。いや、捨てたつもりはなかったが、気づいた時には失っていた。



恐るべき娯楽。

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