逃避行

2018年8月29日、私は小樽の精神病院へ二度目の入院をすることになった。

その3日前―



26日、父が札幌に来て翌日入院させる手筈が整っていると告げられる。その夜は父と二人で鍋をした。時間は入院に向かって淡々と流れているようであった。


だが、父が眠りについた後で私は自宅を出た。リュックにタオルケットと6枚切れの食パン一袋を詰めて。とりあえずマンションの非常階段でタオルケットに包まった。


27日、夜明けと同時に自転車に跨り、当てもなく漕ぎ始めた。

入院が苦痛という訳ではなかったが、人生を何とかしたいという気持ちが皆無だった。とにかく遠くへ逃げたかった。もちろんどうにもならないことは分かっていた。


しかしながら、数カ月まともに外出をしていなかった私の体力はかなり低下していた。10キロも走らないうちに限界を感じ、通りがかったホールに入った。そこでONE PIECEを読んで時間を潰した。

夜にはマンションに戻り非常階段で寝た。


28日、自宅近くの行き付けのホールでモンキーターンを読んでいた。夕方、肩を叩かれ振り向くと父と一番下の弟が立っていた。二人の顔を見た瞬間、私は安堵した。

さらに、自宅に戻ると母までいた。その姿を見た瞬間、今度は不意に笑ってしまった。よく笑えるね、と母は言ったが私は嬉しかった。夜、4人で居酒屋に入った。

酔いが回ってきた頃、両親が3人の息子につけた名の由来を話し始めた。私は涙を流していた。あれは情けなさからであろうか、あるいは生きていることへの感謝であったか。私にもよく分からない。


居酒屋を出て母はホテルへ、父と弟と私はマンションへ戻った。父が寝た後、弟は泣きながら私に訴えかけた。

「これ以上、お父さんとお母さんを苦しめるのは止そうよ。入院して次こそちゃんと治そう。兄ちゃんならきっと大丈夫だから。」

私は無言だった。私には弟の言葉に応えるだけの度量は無く、ただ時間が過ぎるのを待っていた。


29日、小樽へ向かった。



今年の正月、16カ月遅れで弟にあのときの言葉について礼を言えた。

ありがとう。

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