永遠の一線

越えるべくして越えた一線。



大学在籍7年目、2017年度前期の開始を数日後に控え、私はパチスロ台の前に座っていた。退院から5カ月も経っていなかったが、パチスロを打ちたいという欲求を抑えられなかった。

もっとも、ギャンブル依存症と付き合っていくということは、欲求が湧いた瞬間に如何に対処するかということではないのだろう。いかにその病気と普段から向き合えるかということなのかもしれない。とすれば、再発は当然の結果であった。


授業が始まるまでの数日だけなら問題ないだろう。そうして昂る気分を抑えきれずにホールの自動ドアを開いた。世間とホール、その境界を越えた瞬間に理性は脆くも消え去り、身体は脳内麻薬に浸れることを喜んでいた。

久しぶりで目押しができるかなんて愚問。千万無量と繰り返してきた動作は私に染み付いていた。2010年代で唯一修得した技術。



数日で打ち止めにできる道理は無かった。



4月、二つの式に出席するために帰省した。

一つは太郎の結婚式。この素晴らしき日を綺麗な状態で迎えられなかったことが、心残りであるし申し訳なく思っている。

もう一つは祖父の葬式。棺の中に祖父の顔を覗いた瞬間、涙が溢れて止まらなかった。私を応援し将来を楽しみにしていてくれたであろうことを思うと、心底から情けなくなった。私が再発させているとは思ってもみなかった母は、泣いている姿を見て少し安心したらしい。しかし、私の泣いた理由は母の感じたそれとは異なるものであったのだ。



しかしながら、どんなに本心から自己の情けなさを嘆こうとも、私の病変した脳内構造には関係の無いことだった。後に気づいたことだが、5カ月の間を空けて再びレバーを叩いた私は急速に状態を入院前にまで悪化させ、さらにずっと低い位置まで落ちていた。



式から一月もすると、営業後のバイト先で金庫の鍵を開けていた。

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