Period

2019年7月22日より毎週記事を書いてきたが、今回の記事で定期更新は一旦終了する。そこで今回は、ここまでブログを続けてみての感想。



このサイトを立ち上げたことによる最大の収穫は、私という存在と向き合えたことである。それによりこの先を生きていく準備ができた。つまり、最初の記事「はじめに」に記した目的は果たした。


他方で、自分の新たな一面を発見あるいは確立したということは、無い。なぜなら当時の状況を描写してきたに過ぎないから。その点について、事実をありのままに脚色を加えず表現するように心掛けてきた。読み返してみると、端々に悲愴感が漂い同情を引くような文章になってしまっているが、それもその瞬間における正直な気持ちということであろう。



ともあれ、この10カ月が、そのまま私の人生における貴重なピリオドであることは絶対の事実である。ブログを書いていなければ、このターニングポイントを迎えていなかったかもしれない。

書いてきた記事の中で一番のお気に入りは「犯罪心理」だ。自身の犯罪行為を運命に帰する一方で、運命は自分で選び取るものだとする、何ともアンビバレントな内容になった。この溝は埋められるものではないかもしれないが、乗り越えるべき課題として今後も向き合っていこう。


あとは、そうだな。依存症の人は慎ましく生活しなければならないという風潮(と言うよりは私の偏見)には流されずに生きたい。金銭的に派手な暮らしをしたいという訳ではない。

堂々と自分らしく、生きたいように生きる。



ピリオドをさらに拡大してみれば、時代も良かった。ギャンブル依存症というワードが定着していない時代であればきっと生きていけなかったであろう。もし水戸黄門のような世界線で生を受けていたら、丁か半かに生涯を賭していたはずだ。人情や紋所で改心できるならば、こんなブログを書いていない。

そう、私は“ギャンブル依存症”に救われたのだ。単に意志薄弱なだけの人間ではないと、証明してくれた。ギャンブル依存症であることは、恥でも弱さでもない。それを認められれば、自信を取り戻し強く成長できる。


ブログのアイキャッチに使用していたこの写真、私の寝床から見上げた窓とその向こうの空である。空の青さを羨むだけの段階はとうに過ぎ、弾性エネルギーは極限まで蓄えた。さて―

日向にでよう。






定期更新は一旦終了するが、サイト自体は維持する。多くの人に読んでもらいたいし、何より私自身の為に備忘録として大切に残しておきたい。

ここまで読んでくださった方にとって、その時間が少しでも有意義なものになっていれば嬉しい。特に私と似た境遇の方には力添えとなっていれば幸いである。


そう遠くない日に再開するつもりでいる。その際には、Twitterアカウント @ltohsm から告知させていただく。

コメント

  1. 太郎 より:

    お疲れ様。ケニーが自分と向き合ってる姿を見て、自分も少し考えさせられた。
    再開するの楽しみにしてるよ!

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