最初に父が札幌に助けに来てくれた後のこと。
泣きながら歩いて帰った夜、そして父が札幌に来て生き返った心地がしたとき、もうギャンブルはやらずにきちんと生活をしたいと本気で思った。
しかし、父を札幌駅で見送ったその足で私はホールへ向かっていた。なんの躊躇いもなくスロット台と向き合っていた。
打っていると途中で成田空港に着いた父から電話がかかってきた。
「生きていてくれて本当に良かった。いくらでも取り返しはつくから頑張れよ」
ホールの外で電話をしていたのだが早く切りたかった。このとき出玉が伸びている最中で続きが打ちたくて仕方なかった。
前日までは絶望的なうつ状態で、ギャンブルさえやらなければと後悔していたはずだった。それが父が帰り際に当分の生活費として3万円渡してくれたときからパチスロのことしか考えられなくなっていた。
この日は7万円ほど勝った。
やりすぎなければ、学校に通いさえすれば、借金しなければ…生活に支障をきたさなければギャンブルをしてもいいだろう。次はうまくやれる。
あのときはそう信じていたと思う。
だが問題の本質はギャンブルのやり方ではなく、ギャンブルをやる行為自体なのだ。私は当時から既にギャンブルのやり方をコントロールできない人間つまり、ギャンブル依存症になっていたのだった。
再び賭ける

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