留年

初めて留年したときのことについて。



大学1年次は全学教育を受け、2年次から各学部に配属されるというシステムだった。1年次の成績の順に希望の学部へ入れるのだ。だがどの学部であろうと最低限の単位修得要件が定められていた。

私は大学1年目、2011年度の後期が始まってから2カ月のあいだ一度も授業に出席していなかった。そのため進級は不可能な状況だった。

それでも残りの期間でできる限り単位を修得するために各授業を担当する教員たちを訪ねた。そして数人から、条件付きで授業への途中参加を認めていただいた。


そうした状況の中、相変わらずホールへも通い続けた。許可をもらった授業へは出席していたが、それ以外の時間は台と向き合っていた。普通は、こうしたチャンスを与えられたら必死に課題や試験勉強に取り組むものだ。

普通ではないのだ。学業はギャンブルの片手間。


教員が驚くくらいの好成績を取ってやろうという気持ちもあった。だが全く身が入らず、後には虚栄心だけが残った。

「ギャンブルをやりさえしなければ、本当はできる人間なんだ」


結果的に途中から参加した授業の単位は取ることができたが、留年が決定した。

このときの心情として特に記憶に残っているものはない。両親に対する申し訳なさもあまりなかった。なぜなのだろうか。


私は自分の置かれている状況を的確に把握する能力、あるいは把握はしているがそれに対応しようとする意志に乏しい。



この時期に視聴していたアニメ「攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG」に、

「 水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる 」

というセリフ (原典は孟子らしい) がある。
依存症の人間、というか私にぴったりな言葉だなぁ…。

コメント

  1. ケニーケニー より:

    水は低きに流れ、人の心もまた低きに流れる

    抗うことをしなければその通り。でも僕は人間で、意思を持っている。だから覆水は盆に返し、さらには高みを目指していこうと思えた言葉です。

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