私が抱える矛盾について。
依存症からの回復には自助グループ(ギャンブル依存症ならGAなど)への参加を継続することが鍵となるらしい、ということはこのブログで何度か触れた。“らしい”というのは、私は参加を継続させたことがなく、その効能を体験したことがない。
かつて、過去に同じ失敗を幾度となく繰り返してきた私だが、今もGAに参加するつもりはない。その偏屈な意志は以前にも増して強くなっている。なぜなのか。
私はギャンブル依存症であることを認めて以来、同情してもらえないことを嘆いていた。病気で苦しんでいるのに。癌なら同情してもらえただろうに、と。
癌を患った者なら手術を受けた後にも定期検診を受けるであろうし、医師の指示があれば飲酒や喫煙を控えたりもするだろう。健康のために最大限の努力をするであろうが、最後は医療に身を委ねるしかない。
片や依存症は、回復への必要条件は“自分の足”のみである。
それにもかかわらず、だ。
私は治療に取り組まずに、自己憐憫に浸るばかりであった。ここに大きな“矛盾”が生じていた。自分は病人だと叫んで同情を引きながらも、治療は受けない。
社会的な問題もある。
現在、私は生活保護を受けている。「病気および療養の為に生活を自立させることが困難である」というのが受給の名目である。だとすれば、全力で回復に努めるのが筋なのであろう。ここにも矛盾が。
モラルを度外視するとしても(すべきではないが)人生を大切に思うならば、本来取るべき行動は既定のはずなのだが。
ロイド博士曰く。
「その矛盾はさ、いつか君を殺すよ」
と、考えていたのも数カ月前までのこと。今はこの矛盾を忘れかけてすらいる。ただし、私はギャンブル依存症であることを忘れた訳では決してない。すると、同情を欲さなくなったのは健康的な思考が回復してきた表れであろう。
この時限爆弾はいつか発動するだろうか。あるいは既に発動しているのであろうか。
矛盾

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