5カ月半に及んだ二度目の入院生活について。
2018年8月29日から、いしばし病院での二度目の入院生活が始まった。エピソード2でも書いたが、依存症から立ち直るきっかけとして最善の方法が入院だと思う。この点については私の現状からして間違いではなく、二度目の入院は結果的にきっかけとして機能した。しかしながら、入院中の経過を振り返ると順調とは程遠かった。
今回の入院生活では一度目のときのような、回復に向けての気概はなかった。初めの2カ月こそ、健康的な自分を回復するために取り組んでいた。しかし季節が冬に移り変わるにつれ雲行きが怪しくなっていった。
大学を中退することは決定していたが、就職しようという気持ちは全くなかった。完全に社会から浮いた状況で、治療に身が入らなくなっていった。ほとんどの時間がベッドの上でスマホを見つめているうちに過ぎた。
治療プログラムに「外泊訓練」というものがあった。これは毎週末を各々の自宅で過ごし、退院後に備えることを目的としている。基本的には退院日に合わせて8週連続で行うのだが、私のスケジュールは2週目にして早くも頓挫してしまう。
大人が自宅に帰り、2泊して病院に戻る。これの一体どのあたりが“訓練”なのだろうかと思われるだろう。ところが、依存症を抱える人には訓練、さらには試練になり得るのだ。
12月16日、私は札幌でパチスロ台の前にいた。多少は葛藤もあったが、パチスロを打っていた。そして、外泊訓練と免許証(期限切れ)の更新のために親に送金してもらった金を使い果たした。
今さら回復したところでといった心持ちであった。
私にとって週末は訓練ましてや試練などではなく、ホールで回復に逆行する日となった。金が尽きた直後には落ち込むこともあったが、病院には戻るので食事に困ることはなかった。平日はベッドの上、週末はホールで過ごす。入院前と変わらない生活。
16日の事柄は主治医に報告し、2週間の退院延期という処置を受けた。しかし、さらに入院が長引くことには堪えられないとして、以降は報告することはしなかった。
退院日を間近に控えての決意表明にて。
パチスロを打ったのは一度ではないこと、そしてギャンブルをやらずに生活していく意志がないことを主治医やルームメイトの前で暴露した。主治医には、
「退院させられる状態にない。入院を延ばしなさい」
と怒られた。だが、もう病院にいても良くなることはないだろうと私は考えていた。最初に受けた処置以上には入院を延ばすことなく、予定通りに病院を出た。
2019年2月14日、退院。
そのときの自身の状態を冷静に分析した上で、無責任に自由だけを要求したのだ。自宅に着き荷物を置くや否や、ホールに駆け込んだ。
これにて時系列シリーズは完結。最後のタイトルが「シスの復讐」では少々納まりが良くないが、ダークサイドの復讐を許すなという自分への戒めとして。サイトの更新は次週以降も少しだけ続くのでお付き合いいただきたい。
入院 エピソード3/シスの復讐

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