傲慢

時系列シリーズ最終章―



時は2017年7月。悪事に手を染めてギャンブルをし、ひどいうつ状態だったことが嘘のようにすっきりした心持ちで夏を迎えていた。信念など持てずに数年間を過ごしてきた私は風見鶏のようにカラカラと回っていた。

「次の一回をやりさえしなければ大丈夫」

虚勢を張っていたつもりはなかった。だが、本気でそう思っていたところが病識の薄れていた印であった。横領を働いてまでギャンブルをやっていたというのに。


夏休み期間はドライブをしたりしてゆったりと過ごした。まったくもって吞気なものだ。この私の阿呆さ加減を見兼ねて咎めてくれる二人がいた。その人たちとは一度目の入院中に知り合い懇意にしてもらっていた。

二人に会ったのは久しぶりで、その時点ではギャンブル行為は2カ月止まっていた。しかし、今のままでは近いうちにまたギャンブルをやるだろうと言われた。これは嫌味ではなく、止まっているうちに治療に取り組むようにというアドバイスであった。


このとき、鬱陶しいと私は感じてしまった。現状の不甲斐なさ、本来取るべき行動など頭では分かっていたことを指摘され素直に聞き入れられなかった。プライドが邪魔をした。傲慢。

その傲慢さは如実に行動に表れた。言われっぱなしは癪だということで再開した通院やGAへの参加は、面倒くさいという理由で年越し前には中断した。順調であることを言い訳に治療的行動を遠ざけた。当然、順調に見えたのは薄っぺらな表面だけであった。何より私自身が日々落ち着きを失くしていることを感じていた。


春休みになり帰省したときには治療にきちんと取り組むことを母に約束した。しかし札幌に戻った翌日、向かった先は病院でもGAでもなくホールだった。結局半年とひと月しかもたず、ひたすらギャンブルから快楽を摂取する毎日に突入した。

バイブル入手。記事の内容とは何一つ関係ないけど。

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