入院 エピソード2/ファントム・メナス

一度目に精神病院へ入院していたときのことについて。



2016年8月2日から小樽のいしばし病院で入院生活が始まった。大方の人間は自身が“精神病院”へ入院することなど想像だにしないだろう。この日の直前まで散々ギャンブルにより異常をきたしていた私でさえ、自分が精神病院での入院治療を要する人間だとは到底思えないでいた。

しかし、それは私の人生には必要不可欠なものであった。


入院して数日後には治療の必要性を実感した。それは理解ではなく、自然と自分の中に湧いてきた感情であった。カラッと晴れた空の下、小樽の坂道を歩いている時にふと思ったのだ。

「自分はギャンブル依存症だ。入院してよかった。」

3カ月余りに渡った入院生活において、この瞬間が最高の収穫だった。前年、最初に依存症と診断されたタイミングで入院していればよかったとも思った。だが仮にその時に入院していたとして、この境地に至っただろうか。あの状況・状態だったからこその回復への第一歩だったと思う。巡り合わせ。


「自身が依存症だと認知すること」こそが依存症治療の始まりと言われている。それを入院して数日でクリアできたことは幸運だった。自分で言うのも何だが、私は素直な性格だと思っている。もし曲がった性格だとしたら治療はさらに難航したであろう。素直な人間に育ててくれたことに感謝。



ここからは入院治療に対して私が感じたことをリポートしていく。

私が入ったのはアルコール病棟と呼ばれる依存症治療専門の病棟だった。何人かいかつい見た目のおじさんもいて、慣れるまでしばらくは居心地が悪かったなあ。では、入院治療のメリットを挙げてみよう。

まず、入院することである程度は依存対象から物理的に離れられるかもしれない。ある程度というのは、結局は自分の状態・回復へのモチベーション次第ということだ。病院の傍にはコンビニもホールもある。依存物質に浸りたければご自由にどうぞ。

治療プログラムはどうか。アルコール病棟の担当医(私の主治医)はこの病院の院長で、依存症治療の最前線に立つ方だ。入院中はその先生が改良を重ねているプログラムに取り組むことになる。誤解を恐れずに言えば、入院生活は生ぬるい。私は素人なのでプログラムの良し悪し、その頻度・濃度が適切かの判断はできない。けれども実際に生活してみると、とにかく暇な時間が多いのだ。その時間でいかに病識を深め、自己と向き合えるか。これまた結局は自分の心の持ちようということになる。

うーむ。

端的なメリットは無いかもしれない。まあ「人の振り見て我が振り直せ」という面はあるかもしれない。他の依存症患者と一緒に過ごしていると自分の抱える問題点が見えてくることもある。邪な考えではあるが、他の患者を見てあんな風にはなりたくないと思うこともある。


たらたらと書いてはきたものの、この入院が無ければ回復へのも歩み出しも無かったということは確信を持って言える。入院しなければどうにもならない状態だった。入院は、それまでの5年間で止まることのなかった病的賭博行為を断ち切るきっかけとして最善の選択だったと思う。



最後に。

入院治療で一番重要なのは期間中に出会う“人”だ。私の場合、病棟で知り合ったある3人と共に生活できたことが、この入院をより意義あるものにしてくれた。これも巡り合わせ。依存症の入院治療では、その効果を決定づけるファクターにおいて運が占める割合はなかなか大きい。



2016年11月10日、清々しく希望に満ちた気持ちで退院した。


だがしかし。

冒頭にも“一度目”とあることから分かるように、私の病識は蜜より甘かった。

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