コンプレックス

私の抱えるコンプレックスについて。



基本的には私は自分のことが好きだ。これは過度な自己愛・ナルシシズムという訳ではなく、自己の存在を肯定的に捉えられているという意味だ。しかし、その自己肯定感を打ち消され、時には心が自己嫌悪に苛まれてしまうような身体的劣等感を私は持っている。

この劣等感は、自身のギャンブル依存につながる要因の一つと考えられ、心理学・精神医学的にも“コンプレックス”と呼べるだろう。


そのコンプレックスとは、「自分には清潔感が無い」という拭い切れない妄想である。この妄想が客観的事実かどうかはこの際に問題でない。とにかくこのコンプレックスによって物心が付いた頃から苦しんできた。



私は体毛がかなり濃い。


小学生の時、下校中。何かを決心した当時の私は友人にあることを打ち明けた。

「オレって、毛病なんだ」
「仮病って、嘘つくことだよ」

まあ、これは笑い話。担任に相談したこともあったなあ。


中学生の時、ドキドキしながら近所のドラッグストアで除毛クリームを買った。家の風呂場でそれを顔に塗って顔面ヒビ割れたこともあった。

中学生になってからはニキビにも悩んでいる。手で潰してしまったことを死ぬまで後悔するだろう。


高校生の時。野球部員は肩や肘をアイシングするために女子マネージャーに氷嚢を巻き付けてもらうのだが、私はそれを頼めなかった。ケガのリスクよりも上半身を見せないことを選択した。



ここまで読んでみると、これらは多くの人が思春期に経験しうることだと思うだろう。だが私は思春期の亡霊に取り憑かれ続けた。歳を取る程に、自分には清潔感が無いという想いは強くなっていった。


女性は苦手だ。特に同世代から下の女性。こんな清潔感の無い自分は快く思われないだろう。合コンなどはとにかく避けてきた。

大学入学後にサークルに入らなかった理由もそこにあった。例えばサークルで海に遊びに行くとして服を脱ぐ姿をイメージすれば、サークルに入るという選択肢は消滅した。私がギャンブルに没頭していると友人が幾度となくサークルに入ることを勧めてくれたが、私には有り得ない選択だった。

朝、鏡で自分の顔を見ると、それだけで一日出掛けられなくなることもあった。



しかしながら、誰かに嫌がらせをされたことがある訳ではない。完全なる自意識の中での醜形恐怖だ。 このような自己嫌悪は自己否定感にもつながる。

これは裏を返せば自尊心の強さの表れかもしれない。少しでも他人に悪い印象を持たれたくない。わずかでも傷つきたくない。

―ホントの自分はこんな筈ではない。

人付き合いを避けることは私なりの自己防衛なのかもしれない。私って実はプライド高いのよね。


そんな心の歪みに付け込んできたのが“パチスロ”だった。

他人に自分の弱みを見られることなく、ただひたすらに台と対面していれば快楽が得られる。台がメダルを吐き出せば、自分の優位性が示される気がした。たとえそれが虚構だと分かっていたとしても。

おそらくこのコンプレックスこそが私のギャンブル依存症の根本的な起因だろう。



まあ、三十路も目前となればそんなンプレックスもだいぶ薄まってきた。この体毛の濃さも、銭湯に行けば見掛けないレベルではない。ただ、最近は頭髪に不安を覚え始めた。毛は厄介。処理するのにも、維持するのにも金が掛かる。精神にも財布にも影響を与える。


ギャンブルに嵌まり込んでいたことは後悔していない(後悔しようがない)のだが、その間に不摂生・不衛生な生活をしていたことは大いに後悔している。頭髪や肌へのダメージがもろに来てるのよ。

ああ。毛と肌の悩みさえ無ければどんな人生になったかな。

髪様、あと15年はがんばってください。

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