愚痴

言っても詮無き事について。



日向坂を好きになってから毎日のようにネットやSNSでグループやメンバーの情報を得ている。日向坂に関するサイトなどはグループを好きな人、ないしはグループに興味を持っている人たちだけが利用するように思える。だが、実際には不特定多数の人間が利用している。時には悪意に満ちたサイトや書き込みを見てしまうこともある。意見や批判などではない、他者を攻撃することだけを目的とした明らかなる悪意。


悪意に触れた時、私は悔しさと憤りを覚える。

しかしながら、覚えたところで、だ。

そんな悪意を吐くノイジーマイノリティは無視しろ、スルースキルを磨け、と言われるのが落ちだ。その通りなのかもしれないが、それでも不思議に思うのだ。その悪意が誰かを不快にすること、攻撃の対象にされた本人に届いてしまう可能性を想像できないのだろうか。いくら匿名とはいえ、平気なのか。むしろ悦に入っているのだろうか、と。


私とは別次元に善悪の尺度を持つ、異世界の住民。異質の輩。


私が興味を持っているのは、異質の輩がどのような顔で実生活を送っているのかということだ。ネット上で口汚く攻撃的になれるのはどんな人間なのか。異質の輩も「NO WAR in the future」に共鳴し、「JOYFUL LOVE」で涙を流すことがあるのだろうか。

いつか知らぬ間に、異質の輩と仲良くなっていることもあるのだろうか。怖いな。



誰が言ってんだって思われるかもしれないけど、

「自分の魂に誇りを持っているのか」

ってことなのよ。



朝井リョウ著「武道館」に次のような一節を記憶している。

アイドルに興味がある人の中には、アイドルを応援しているようでその実、誰かの不幸を期待しそれを楽しむ者もいる。ただ、武道館(日向坂46にとっての東京ドーム)では、その空間にいるすべての人が誰かの幸せを願っている。私たちが目指しているのはそんな場所だ。 (完全な引用ではない)

いいよね。年末に素敵なライブを迎えられるといいな。


私にとっての異質の輩が存在することは仕方のないことなのだろう。この異質さは言わばイデオロギーの差のようなもので、相容れるのは困難なことだと思う。


私は、自分が高尚な人間だなどと言いたいのでない。ただ自分が感じる悪意を、振り撒いてしまう人間にはならないよう気を付けたいという話だ。



この狭い枠の中でさえ理解し合えないのだから、平和とは至難だなあ。

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