横領

バイト先の売上金でパチスロを打ったときのことについて。



2011年以来、ほぼ半年を1タームとして同じ症状を繰り返してきた。不思議なもので、序盤は勝つ日が多く所持金が増え続け、ある日を境に勝てなくなり借金が膨らむ。そして終盤にはうつ状態になりひきこもる。これの繰り返し。


2017年3月に再びパチスロに手を出したときも序盤までは同様であった。だが、中盤において大きな違いがあった。信用情報に傷が付き簡単には借り入れができなくなっていた私は、ついに一線を越えた。

営業後のバイト先。シャッターを開け、警備システムを解除し、隠してある鍵を手に取り、金庫を開けた。売上金が入った袋を持ち帰り、その金でパチスロを打った。銀行への入金日を把握していたので、それまでに同じ手順で金を戻せば事件にはならないだろうと思っていた。


このあまりにも短絡的な発想、浅薄な行動に今の私は、正気を疑うばかりである。いや、正気でなかったと信じていたい。悪魔が囁いた―

こんな言葉では片づけられない出来事なのだが、悪魔のせいにでもしなければ自分自身に説明がつけられない。この悪魔とはつまり“ギャンブル依存症”のことであるが、私は呪文のように、「病気なので仕方なかった」とつぶやくようになる。入院経験を逆手に取った逃避癖。

人として生きていく以上は、こんな呪文で言い逃れができないことは理解しているつもりだ。それでも悪魔に擦り付けるしかなかった。健常時であれば絶対に考えることさえしない行動のはずだった。


金庫から金を抜き出すこと三度。ついに入金日前夜に金額が足りず戻せなくなった。その額、数千円。ホールから帰ってきて、闇金を含めて金を貸してくれそうなところを調べた。だが、手に付かなかった。

悔恨の情と、数千円なら翌朝パチスロで回収できるという病的な考えと、五分五分。

結局、朝一でパチスロを打ち元の金額を袋に入れた。そして開店準備をしている店長を適当に欺き、金庫に戻した。精神を消耗した私はうつ状態に陥り、何度目かのひきこもり生活へ。



様子を見に来た母に、一連の出来事をすべて告白した。母に打ち明けたことで私は楽になったのだが、息子の犯行を不意に知らされる親の気持ちたるや。母は私が再度入院することを希望した。私の返答は、

「一度でもギャンブルをやってしまえば自分がどうなるか分かったから大丈夫」

こんなに軽くて信用できないセリフがよくも吐けたものだ。何が大丈夫なのか。そういう問題ではないしね。


行動の重大性と、それに対する私の認識の間には過大な齟齬があった。

事実と向き合う力が無い。



人として先を生きていくならば、この罪過を自分のものとして背負う必要がある。二重人格ではないし、悪魔のせいでもない。ギャンブル依存症も含めて私は自分なのだ。ギャンブルの為なら横領に走る可能性がある人間で、実際にそうした過去がある。このことをしっかり認識していれば、今後は悪い道を回避できるかもしれない。


パチスロのような馬鹿げたものをトリガーにして人生を台無しにしてしまう弱さも含めて、私は自分だ。

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