父への自殺宣言と母からの自殺宣告。
2015年度、大学5年目のことについて。
退歩する日々が過ぎ、本来ならば大学院に進学しているかもしくは社会人になっている年になっていた。同期には社会人3年目を迎えている者もいた。
私は未だに一年半分の単位しか修得していない状況だった。そしてホール通いは続けていた。このままでは卒業できないと普通ならば思うだろうが、私にはその危機感はまるで無かった。ましてや中退して仕事を探す気などは毛頭無かった。
卒業を目指す道を自分で選択しているようで、(周囲の人はとっくに気づいていたであろうが)実はそうではなかった。与えてもらった環境に依存していただけだ。
もはや“甘え”ではなく、「本人が望むのであれば何とか卒業させてあげたい」という両親の想いへの“寄生”だった。
私はただ、台と向き合ってさえいればいい日常を失うことが怖かっただけだ。
この年の夏、軍資金がなくなっていつものようにうつ状態でひきこもっていたときのこと。いつものように父が助けに来た。
カーテンを閉め切った暗い部屋に突如として響く鍵が回される音。一人で閉じ籠っていられる時間が終わる恐怖と、これで助かるという安堵が交錯するあの瞬間は何とも形容しがたい。
それはさて置き。
入院を促した父に私が言い放った言葉。
「自分のことは自分で決める。大学にもきちんと通う。もし入院させられるなら自殺する。」
なんと支離滅裂なことか。これを訳せば、「ギャンブルができなくなるなら自殺してやる」であった。親心に付け入った脅迫だ。
この年には母に、
「あなたに弟がいなければ、お母さんはとっくに自殺していた。」
と言われたこともあった。その時は回転寿司を食べながら鼻で笑って聞き流した。それを息子に言わなければならない母親の気持ちなんて考えようとはしなかった。
幸いにも、宣言を受けた時の父の悲しい表情や、宣告をした時の母の悲しい声を、今も覚えている。そして両親にそんな思いを二度とさせたくないと、今は思える。
良心と両親の存るうちに。
脅迫

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