明日からも本気出せない

仕事をやめました。

やめたというかクビになったというか。約2年ぶりにこのブログを書いています。


2021年4月1日に30歳を目前にして初めて就いた正社員でしたが、2023年5月12日を最後に出勤することができなくなり、6月7日付で自然退職扱いとなりました。

5月12日は金曜日で、その日まではいつものように出勤していました。週明け月曜日、いつものように5時半には目覚めたのですがどうにも身支度する気力が湧かず。とりあえず「ひなあい」を2周3周としているうちに始業時間が迫ってきました。

働いていれば誰しも休み明けだりぃなんてことはあるのでしょうし、私も毎週だりぃをこらえて過ごしていました。が、その日は仮病を使って休んでしまいました。

それが火曜水曜と続き、4日目からは無断欠勤。引継ぎ等について連絡の一つもできずようやく会社に詫びの電話を入れたのが6月14日で、その一週間前には退職扱いとなっていたのでした。当然ですよね。


ここまで読んでいただければお気づきだと思いますが、退職に至った要因の一つはうつ病、その原因はやはりギャンブルです。

2019年2月14日を最後にギャンブルはやらずに生活できていたのですが、2022年の5月と8月にパチンコ・パチスロと競艇で70万円ほどを溶かしました。そして同年10月からは予定のない休日、平日の仕事終わりと余暇のすべてをパチンコ屋でつぶすようになってしまいました。

ギャンブルに手を出したのは忙しさからくるストレスのせいだなんて、言い訳もしたいのだけれど。実際に年間の残業時間は900時間近かったし(休日勤務やサビ残も含めれば1000時間くらいかな)、それを言い訳にしていたのだろうけど。


とはいえ仕事に不満があったわけではないのです。

税務のみならず、労務や建設業許可の申請業務など多岐にわたる分野で経験を積めました。様々な顧客を担当させてもらえたので、経営者と直接やり取りをする中で税理士という職業のおもしろさの一端にも触れました。同僚にも恵まれ、仕事面でもとてもお世話になりましたし、一緒に日向坂のライブのために遠征したりゴルフをしたり。

残業に数年間耐えられれば、収入面を含めてその後のキャリアの道筋は示されていた職場でしたし。環境は悪くなかったよな。悪いどころか、30歳にして初めてまともに職に就く男にとってはこれ以上はなかったかもしれない。


環境が悪かったのでなければいったい何が悪かったのでしょうか。悪かったのはギャンブル依存症でありながら、それと向き合うことをしてこなかった自分でしょうな。なんて、今さらこんな定型文句しか出てこない馬鹿。

馬鹿なので四の五の言わずにAAやGAなりに通ってみます。


仕事して、自宅の駐車場で車から降りずに寝落ちして、仕事して、余暇のほとんどをホールで無駄にして。そんな毎日を送っていれば、まあおかしくなりますわな。

そんな状態なので、税理士試験の勉強は1年以上していないし。メンバーに対して失礼なのでまっすぐに日向坂を応援することもできないし。同僚や顧客との信頼関係云々はそっちのけでやっつけ仕事ばかりになってしまうし。


家族にも友人にも、関わってくれているすべての人に感謝を伝え恩返しをしたいのだけれど、それを行動と生き様でもって示したいのだけれども、結局は裏切りが残るのみです。



いやになっちゃうね。

もう干支が一周するくらいこのサイクルから抜け出さずにいる。失敗するたびにゼロから、いや以前よりも低い位置からのスタート。ゼロといえば貯金もそうなのですが年齢だけは増えていて。私には同い年の従兄弟がいたのですが、20歳の時に自ら命を絶ちました。そのことをうらやましいとさえ思うのです。

人生を全うする覚悟や生活への動機とはどのように形成されるのでしょうか。



幸いにも、税理士になって地元で開業するという夢は捨てていない。

だが、情熱はない

先日11年ぶりに宮崎に行ってきました。

近いうちにまた更新します。

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