浪人

今回は浪人生だったころのことについて。(※いつにも増して胸糞が悪くなる内容なので閲覧注意)



私は2年間浪人生だった。高校を卒業したのは2009年3月だが、大学に入ったのは2011年4月だ。現役時代は浪人してもいいやという気持ちで北大のみを受験した。ちなみにセンター試験の得点率は72%だった。


浪人1年目。松戸の河合塾に通わせてもらっていた。必死だったとは言い切れないが、私の人生で唯一まともに勉強した時期だった。河合塾の北大模試で全国9位を取ったこともあった。だがそれも、その年の晩夏まで。

2009年、秋口。私はセンター試験の願書を出し忘れた。完全なる失念。母はかなりショックを受けていたが、当の私はたいして動揺もせずすぐに開き直った。この辺りに社会で生きていく上での人間的欠陥が表れているように思う。

以降、全く勉強しなくなった。


たいした理由はなかったが、どうしても北大に入りたいと両親に頼み込んでもう一年浪人させてもらうことになった。ただ、この年の早慶の入試に合格することが条件だった。

私がズルいというか情けないのは、ここで懸命になれないところ。早慶に合格せずとも二浪することになるわけだからと、勉強しなかった。もちろん不合格になったが、勉強していれば余裕で合格していたと戯言を呟いた。


勉強せずに何をしていたのか。朝から晩までマックでモンハン、あるいは中古本屋で立ち読み。



そして浪人2年目。

この年は柏の予備校に入れてもらった。ただし、登校したのは20回もないだろう。


何をしていたのか。

マックでモンハンをやったりハリーポッターを読んだり。中古本屋で立ち読み。コンビニで酒を買って朝から土手で飲んだり。母がパートに出掛けたのを見計らって家に帰ってゲーム・・・

学費の足しにしようと4月から10月にかけて山田うどんでアルバイトをしていたが、冬期講習代を払ったのみ。30万円以上は稼いだはずだがその金はクロスバイクや遊びに費やしてしまった。


この年は合計で何時間机に向かっていただろうか。50時間も向かっていないだろう。センター試験の得点率は2年前より低い69%だった。早慶は不合格。



しかし、北大には合格した。してしまった。


この一年のことをまるで武勇伝かのように友人に話した。

だが心の奥では、びっちり勉強して早慶にもきっちり合格したかったと思っていた。そして、胸を張って友人に報告して、後ろめたさを感じずに両親に褒めてもらいたかった。



もし北大入試に落ちていたら、自分の異常に気づいてギャンブル依存症にならなかっただろうか。いや、いずれにせよ何かしらの依存症を発症したと思う。

なぜこのような浪人生活を送ってしまったのか、今なら分かる。対象が漫画やゲームからパチスロに変わっただけで、浪人時代も大学時代も変わらない。


本質的に努力する能力が欠けているのか、精神の病のせいで努力ができないのか。すべてを病気のせいにして逃げる訳にはいかないが、そうでもしなければ自己を受け入れられない。



依存症の兆候が表れ始めた浪人時代。
まあ、広義的には今も浪人だな。

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