自我同一

前にも少し触れた“黒歴史”について。



誰しも、歳を重ねても忘れられない学生時代の嫌な思い出を持っているのだろうか。私の場合はそれは1つや2つではない。それどころか中学高校時代はほぼ嫌な思い出、まさに人生という歴史の暗黒時代。(大学時代はまた別の話である。)


黒歴史を創造するための材料として、私は醜形恐怖というコンプレックス(https://hinatanideyo.com/complex/)と、注意欠如・衝動性を持ち合わせていた。


このコンプレックスというものを自己肯定でもって上塗りできずにいたために、おそらく10歳くらいのころから“道化”を演じていたように思う。正面を切って自分を表現することができなかった。だからバカなことをして同級生や先輩にいじってもらうことで、自分の存在スペースを確保していた。

もちろん当時はそんなこと意識してはいなかったし、生きづらさを感じていた訳でもない。あくまでも、今になって顧みてみると、である。


その道化っぷりに拍車をかけたのが、中2秋の死球による鼻骨骨折であった。

これまた仮説というか今になってみるとという話なのだが、この死球を機に私は自分に向かってくる球も、人に向けて球を投げることも恐れるようになったと思う。身体がうまくコントロールできない。

運動能力の低さやセンスの悪さは認めるが、一種のイップスにかかっていたということも譲れない。なぜなら死球以前の、しっかりコントロールされていた自分の姿が記憶にはっきりと残っているから。

こんなことを書いても惨めなだけだが、とにかくイップスは私をさらに道化にした。

小3から高3まで青春時代=野球であるはずの少年が、気持ちを素直に野球に投影できないとき、チームにおける自分の役割として道化を演じるしかなかったのだろう。そこに注意欠如・衝動性が合わされば即ち黒歴史である。


遅刻は多いし、自転車の居眠り運転で人を轢くし。センター試験の願書は出し忘れるし。中学最後の大会前に全員で頭を丸めようという約束は、母親と喧嘩したからという訳分からん理由で守らなかったし。


入部早々に飲酒してみせたり、上履きで外出したり、学校を抜け出してみたり。

それをことごとく先生や顧問に見つかるのだ。間が悪いというか、そもそも普通の人はそんな行動を起こさないからね。この少年はバカアホドジマヌケ、とんだ勘違い野郎なわけですよ。そして、罰としてひたすら雑用したり雑巾がけしたり、その様子を彼女に目撃されたり。高校最後の大会で負けたとき、みんなが泣きながら抱き合う中でなんとなく孤独を感じていた。


必死に練習しても、体は動かない。居場所を求めて足掻けば、余計に失いそうになる。もう何が何やら。自分で引き起こした事態ではあるが、きっとあの少年には自制する力は備わっていなかったのだろう。

ADHDとまではいかないまでも、普通の人よりはその傾向は強いように思う。今なら、少年を制止してあげることもできようが、当時は判断もコントロールもできない、ネジが一本欠落した人間だった。


時が経てば笑い話になることもあるかもしれないが、なかなかどうして。未だにユメに見る。ほんっとうに過去の自分が大っきらいだ。誰しも30年生きていれば、容姿や運動能力なんて関係なくそれまでの積み重ねが滲み出てかっこよくなるものだが、私には”味”が染みてない。だから今年のテーマは”深み”にした。



それにしても、よく途中で逃げ出さず最後まで野球を続けたものである。野球部から追い出されないように必死に謹慎した結果、黒歴史における、唯一にして至高の財産を失わずに済んだ。

チームメイトが友人であり続けてくれていることに感謝します。



たとえ物理学者が時間の矢を折る瞬間が訪れようとも、とりあえずは過去からしか自己を認識できないのであれば。私は少年を褒めてあげようと思う。よくがんばったよ、と。

依存症せよ黒歴史にせよ、私が私を背負って生きていくためには避けては通れない道であったはずなのだ。通ったからこそ思えるところもある。足りないものを拾い集める修行の道だったのだ。なんてね。


いや、よくがんばったよ。


無傷のまんまじゃいられない
変わり続けていく多面体


また干支が一周する頃に、自分を褒めてあげられますように。

お気に入りのスペースシリーズ①「洗面所の一角」
このインダストリアルな感じがお気に入り。
スマホ立て掛けてラジオ聴いたり動画流しながら、20分くらい髭剃ってる。



来シーズンからは本格的にマホームズ推していこうと思います。

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